旧優生保護法による強制不妊手術の問題が、最近マスコミで注目され、取り上げられています。
『京都新聞:ろう女性40年間の沈黙 中絶、夫に秘密の避妊措置「本当は産みたい」』
https://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20190305000034
(記事から一部引用)
女性は70代。幼いころから耳が聞こえず、発語もできない。人生の多くは優生保護法(1948~96年)があった時代と重なる。「(当時は)子供を作るろうあ夫婦は少なかった」とペンを走らせた後、40年間胸に押し込めてきた思いを、手話で語り始めた。
~中略~
ろう学校で聴者の言うことに従うようにたたき込まれていた。「やっぱり聞こえる人が優先。子どもをつくるなと言われたら、それは従うしかない。はい、と言うしかない」
本当は産みたい。食べ物も喉を通らない。相談相手のいない孤独、苦悩、絶望…。1週間後、屋外をさまよっていると、小さな産婦人科が目にとまり、吸い込まれるように戸を開けた。
「堕ろしたいです」
筆談で伝えた。理由を尋ねる医師に「私も主人も聞こえません。親が反対と言って譲りません。私はもうこれ以上、苦しみたくありません」と説明した。医師はうなずき、その日のうちに手術は行われた。
「そういう時代だったから仕方がない」と言うのは簡単でしょうが、どうしてそのような考え方が当たり前という時代だったのか、それについて考えなければならない問題ですね。
京都新聞:ろう女性40年間の沈黙、秘密の避妊措置 優生保護の証言