昨日3月11日は東日本大震災から7年目でした。
住居やインフラなど、街は再生されつつありますが、
新たな人々の暮らしやコミュニティーづくりは
まだまだ長い道のりです。
被災した聴覚障害者の7年間を追い続けた
今村彩子さんの記事がYAHOO JAPANニュースに
掲載されたので紹介です!
『東日本大震災 7年目の春を迎えて ~耳が聞こえない加藤さん(73歳)の暮らしは今~:今村彩子』
https://news.yahoo.co.jp/byline/imamuraayako/20180310-00082003/
(記事から一部引用)
加藤 えな男さんとの出会い
私は東日本大震災が起きた11日後に宮城に入り、被災した聞こえない人たちを7年間取材しています。私も生まれつき耳が聞こえないので、津波の警報が聞こえず、亡くなった方がいるということは他人事ではありませんでした。加藤 えな男さんに初めて会ったのは、2011年8月5日。宮城県聴覚障害者協会の小泉
正壽会長が救援物資を届けに亘理町の仮設住宅を訪れた時でした。津波で家を流された加藤さんは仮設住宅で一人暮らしをしていました。聞こえない私が手話で質問しても答えがずれていたり、違う答えが返ってきたりして戸惑いました。また私自身が加藤さんの身振りのような手話表現を読み取ることができず、加藤さんをよく知っている岡崎 佐枝子さんに通訳してもらいながら取材をしました。
加藤さんの出会いから、「手話が禁止された時代から手話を言語として認める時代へ」そして、「私の間違った思い込み」
「加藤さんの今」と書かれています。
手話言語条例を機に、聴覚障害者や手話に理解がある社会に
なっていけば、全国にいる加藤さんのような人も、
安心して暮らせるのではないでしょうか。
YAHOO JAPANニュース:東日本大震災 7年目の春を迎えて ~耳が聞こえない加藤さん(73歳)の暮らしは今~